「うつ病が治った」ってどういう感覚?自分は治っているのか不安なあなたへ

「うつ病が完治すると、昔のような生活に戻れる」と、私はずっと思っていました。

しかし、現実は療養中の生活を引きずっていることが多いです。

「それって治ってないってこと?」と思いがちですが、症状は落ち着いていますし、自分では「治ったんだろうな」と思っています。

ゆき

それは薬をのまなくてよくなったとか、病院に行かなくてよくなったとか、そういう物理的なものではなく、精神的な感覚です。

今回は、再発予防期に感じやすい「今の自分は治っているのか?治ってないのか?」という不安について、私が思うことをお話ししたいと思います。

療養中と同じこと

私が「療養中と同じことしてるなー」と感じることは結構あります。

その中でも代表的なのが以下の二つです。

テレビを観なくなった

私はうつ病になる前、情熱的なテレビっ子でした。バラエティーからドラマ、ドキュメンタリー、なんでも観ましたし、観ていなくても一日中テレビはつけっぱなしでした。

それがうつ病になって、テレビの音がうるさく感じ、全く観なくなりました。

ゆき

そしてそれは今もあまり変わっていません。テレビはほとんどつけないですし、たまに観てもニュース程度。

ただ、映画だけは観たいので、DVD再生用にテレビがあるという感じです。

こんなにもNHKの受診料を支払わなくていい人間がいるだろうか…と思います。(ニュースは観るのできちんと支払ってますよ!)

ゆき

ヒールの高い靴を履かなくなった

私は、先の尖ったピンヒールが大好きで、つま先の丸いペタンコの靴が大嫌いでした。

ゆき

ピンヒールは強い、つま先の丸いペタンコの靴は弱いという、謎の自分勝手イメージがあったのです。

たぶん、「自分は弱い人間である」ということを誰にも知られないように、強くてカッコイイ靴で隠そうとしていたのだと思います。

そして、つま先の丸いペタンコの靴は、地味で質素でつまらない上にかっこ悪いと思っていました。それはつまり、自分自身のことを、地味で質素でつまらない上にかっこ悪いと思っていたのだと思います。

ゆき

靴のイメージで同族嫌悪です(笑)

そして療養中、「足元まで無理したくない…」と思った私は、あの大嫌いだった、つま先の丸いペタンコの靴を愛用するようになりました。

相変わらずピンヒールは好きですが、結婚式くらいしか出番はありません。その代わり、スニーカーやペタンコ靴ばかり履いています。

自分の弱さを受け入れること

私にとって、つま先の丸いペタンコの靴を履くようになったのは結構な驚きでした。

母にも「あんた何でそんな靴履いてるの?」と聞かれるくらい。(母は生粋のピンヒール信者です)

ペタンコ靴が教えてくれたこと

もともと私の足は小さい上に足の指も長くないので、つま先は丸い方が断然履きやすく、足元のストレスが軽くなっただけで、外出も人付き合いも、今までより何倍も楽しくなりました。

何よりも、「私は弱くなんかないぞ!」というおかしな見栄を張らなくて良くなったんだなぁと実感しました。

ゆき

もちろん、強くなったわけではありません。未だに超弱小だと思います。

でも、「弱くたっていいや。それが自分だし」と思えるようになったのです。

自分のことを認めて、「私はこれでいい」と思うことこそ、「治った」ということなのかもしれません。

テレビは再発予防

テレビを観なくなったのは恐らく、自分なりの「再発予防」なのだと思います。

私は影響されやすい人間で、人の恐怖や悲しみ、怒りの感情に敏感に反応します。

テレビは、そんな情報をいきなり見せつけてくるので、「私には必要ない」と思うようになりました。

ゆき

映画は演技だと分かっているので、影響力は弱いです!(笑)

「治った」は、「うつ病になって良かったな」と思えるか

療養中に「うつ病になって良かったね」なんて言われると、「ケンカ売られてるのかしら?」と思うかもしれません。

でも、自分の中で「うつ病になっちゃって、辛かったけど、結果的には良かったな」と思えるようになったら、私は完治に近づいているんじゃないかな?と思います。

決して精神的に強くなったわけではありません。でも、「自分の弱さを知り、自分を苦しめないように生きるにはどうすればいいか」という術を身に着けることができました。

ゆき

たぶん、「うつ病が消えてなくなり、過去の自分に戻ること」が完治ではなく、「うつ病があって、自分の生き方が良い方向に行った」が、最終的なゴールなのかも、と私は思います。