私達は幼い頃から常に「〇〇らしくすべき」と言われて育ってきたように思います。
ゆき
でもそれが、「自分らしく」が含まれず、「すべき」に重きを置いて考え始めると、なんだか不健康な気がしませんか?
今回はストレスを溜めやすい「すべき思考」について考えます。
「〇〇すべき」と行動するのは立派なこと
私の小学校の先生はよく、「どんな時でも笑顔でいるべきですよ」と言っていました。
言っていることは正しいことだと思いますし、どんな時でも笑顔でいるのは立派なことだと思います。
ゆき
まぁ、これは極端な考え(というか屁理屈…)ですが、大人になるとこれが極端じゃなくなってくるように思います。
大人になると常識が必要になる
大人になって、例えば嫌味を言われても、「そうですねぇ~」なんて言いながらとりあえず笑っとかなきゃいけない。これが常識のある大人の振る舞い!って感じしますよね。
心の中でメラメラと「嫌味ったらしいわね!」と思っていてもニッコリしなきゃいけない。
上司に理不尽に仕事を押し付けられても、笑顔で「は~い」と言わなければならない。
男性は男性らしく、女性は女性らしくしなくちゃいけない。
ゆき
「すべき思考」の虜だった私
今でこそ「面倒くさい」と言える私ですが、ついこの前までは「すべき思考」の信者でした。
ゆき
「~すべき」・「~しなければならない」が優先されてしまう思考の癖です。
また、「~すべきではない」・「~してはいけない」と極端に考えてしまうことも。
ゆき
まさに極端な「完璧主義」。「完璧主義」が悪いわけではありませんが、行き過ぎると自分の首を絞め、生き辛くなっていきます。
相手にも「すべき」を求めがち
この「すべき思考」の面倒なところは、他人にも「〇〇すべきだ!」と自分の思考を押し付けてしまうこと。
全ての人にというわけではありませんが、他人に厳しくなってしまい、人間関係がうまくいかないことも‥‥。
真面目な人ほど「すべき思考」にとらわれる
幼い頃から「〇〇すべきでしょ!」、「〇〇しなくちゃダメでしょ!」と言われてきた私達。
誰からともなくそう言われて、素直に「〇〇であるべき」と思って、それは間違いじゃないと思って生きて、そして自分も誰かに「〇〇であるべきだよ」と言ってきた。
ゆき
一生懸命真面目に生きているのに、そんなの悲しいじゃないですか!
「グレーゾーンってのがあるんだよ」
「すべき思考」で自分の首を絞めまくっていた私。
一時期、「こうであるべき自分」と比較して、「全く何もできない自分」に苦しんでいました。
ゆき
そして先生に言われたのは
「白か黒か!0か100か!で考えるのやめなさい。世の中にはグレーゾーンってのがあるんだよ」
ゆき
もう100万択くらいあるんですよ、きっと。
人生のほとんどは曖昧なものばかりなんですよ。ちっともはっきりしてくれない。
そうなると、長い人生を生きていく上で、曖昧なグレーゾーンでもいいと思えることって、とても大事だと思いませんか?
ゆき
「〇〇すべき」という思考を「〇〇することができたらラッキー!でもまぁ、できなくてもいっか」とか、適当な思考に変えることはとても大変だと思います。
でも、自分が感じている「生き辛さ」がちょっと楽になって、「人生っておもしろいな」って思えたら、とても素敵なことだと思いませんか?
真面目に一生懸命に生きてきたあなたこそ、人生をもっと楽しんで「幸せになる権利」がある!
ゆき